猫舌の君 (お侍 拍手お礼の四十二)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 

何しろ広い大陸なので、その土地々々で気候にも差があり、
それが風土や習慣、果ては言語や文化の差になるほども極端な差異ではないものの、
北の端と南の端だと、住人の体質に微妙な差が出るということは大きにあって。
一般に“北領”と呼ばれるところの、雪の多い土地が出身の者には、
髪や瞳、肌の色が淡い者が多く、
とはいえ、だからと言って寒さに強く暑いのに弱いものが多いとは一概に言えない。
というのが、

 『いいところの坊ちゃんやお嬢様じゃあなくとも、
  暖房をガンガンに焚く地域の出のお人は、
  他の土地のお人同様に寒がりだったりしますからね。』

やはり北領出身だった七郎次が言うには、
半端ではない寒さとなる地方では、
外壁を途轍もなく断熱効果の強い作りにし、
出力の強いストーブで家屋全体を一気に暖めたほうが効率がいいので、
どんな厳寒であっても家の中では薄着でいられるほどだとか。
大雪が屋根まで積もってなかなか退かない土地ともなると、
里の全部が大きな作りの頑丈な家へと集っての、
春までその中で籠もりっきりになって越冬するのも珍しい話ではないそうで。
そして、そういう土地から若いうちに出て来た者には、
冬の寒さに歯を食いしばった覚えがまだ少ないお人も存外いるので、
軍の隊士の中に北領出身なのに寒いのが苦手ということ、
揶揄されている者がいると気の毒そうに苦笑していたものだった。

 “個人差のあること、か。”

そうと言っていた元副官は、されど寒さには強い方であり、
むしろ暑いのが敵わないと言っては、
夏になると隊の中でも はやばやと薄着になる性分で。
二の腕や首元、鎖骨の合わせやうなじなどなど、
色白でやわらかそうな肌をあちこち露出しちゃあ、
一部の隊士の間では十分“目の毒”になってもいたようだったが。
今現在の勘兵衛の供連れである久蔵もまた、
恐らくはそんな七郎次と同じ“北領”出身だろうと思われて。
金髪色白で、出来のいい玻璃玉を思わせるような紅の双眸をし、
淡い色彩で構成された姿もそれを裏付けていよう。

  ―― そして。

穹という高層の戦さ場の、
極寒地獄と化す環境を物ともしない戦いようで、
生き残ったからこそ今此処に居る…のだろうが、

 「…。」
 「久蔵? 起きておるのか?」

彼もまた 暑さには弱いのか、
それと判るほど げんなりしているところは見せないが、
それでも時折ぼんやりしていることがある。
矜持が邪魔だてするものか、
それとも だらけたところで涼しくなるものじゃあないと割り切ってのことか。
やはり暑さに弱い犬猫などがするような、
板張りの床なぞに腹ばうような、放埒な素振りや弛緩ぶりは全く見せないところが、
やせ我慢じゃあないなら、いっそ気の毒に思えるほどだったりし。
背条を伸ばしてはいても、寝不足からか…お顔の焦点が微妙に曖昧な時なぞ、

 “一度 七郎次に言って、そういう涼み方もまま有りと刷り込んでもらわねばの。”

そんなことを慮
(おもんばか)ってやる勘兵衛だったりもするらしい。
彼のそんな性分に 何とはなく気づいてからは、
旅先を選ぶ折も出来るだけ暑い土地を避けるようにしているのだが、
野伏せり崩れを叩く仕事が舞い込んだ場合はそうも言っておれなくて。
人の命を紙屑扱いするような、
悪辣非道な連中ですので是非にとまで請われては、無下にも出来ず。
また、思い切り刀を振るうことが、
彼にとって気散じになってもいるのは否めないとあって。
考えようによってはとんだ“暑気払い”があったものだが、
結句、暑い盛りをほてほてと、現地まで赴いている日々は続いており。

 「お主、煮物は好物ではなかったか?」

さすがに若さが補うものか、体力が削られてまではない様子。
そこで、目に見えて食が細くなったようではないならば、
せめて精のつくものを食べさせようと構えてみたところ、
気がついたのが…時折意外なものを食べ残している彼だということ。
痩せの大食いとまでは言わないが、
それでも体が資本なのは判っているものか、
無いときは食べずとも平気な反面、
出されたものは一応平らげる健啖家な方であり。
魚が苦手だったのも、
七郎次から手ほどきを受けての骨を除くのが上達したゆえ、
さほど嫌いじゃあなくなっていて。
だというのに、今朝もフキの煮物を結局は残して下げさせたし、
今は今で、冬瓜の煮付けに箸をつけないでいる。
大きめの茶碗に盛られた飯はきっちり片付けているとなると、
やはり、食欲がないから…ではないということではなかろうか。

 「…。」

昨日の昼下がりに着いたばかりな山野辺の宿は、
湖畔が間近いとあって なかなかに涼しく。
昨夜も心地いい風が部屋を満たして、何とも過ごしやすかった。
あまりに暑いと、寄るな触るなと人を蹴り飛ばす寝相さえ出るものが、
昨夜は事後もそのまま、こちらの懐ろに擦り寄っての、
そりゃあ健やかな寝息を立てていたから、寝不足のはずはなく。

 ―― となると。

もしかせずとも残る答えは1つだけ。
しようがないかと自分の膳台にもある同じ鉢を持ち上げて、
丁度いい風合いに上手に煮込まれ、淡く透き通った姿も麗しい、
一口大の冬瓜を、箸で摘まむと軽く吹いて冷ましてから、

 「ほれ。」

腕を伸ばしたのが…差し向かいの相手のお顔へ。

 「?」

宙に浮いた冬瓜越し、怪訝そうに瞬きをしたところへ、

 「誰の目もない。構わぬだろう。」

そうと言葉を継ぎ足せば、はっとしたのか目線が泳ぎ。
それから、

 「………。」

憤然としたいのか、されど口許がはくはくと動くのは。
何と言って罵倒したものかが判らぬからか、
それとも…見透かされた身だったのが不甲斐なくも口惜しかったか。

 「ほれ。冷め過ぎては美味くないぞ?」

いつもいつも食べ頃に冷めたときにはもう、飯で腹が膨れてしまってた。
吹いて冷まそうにも、

 「熱い鉢さえ持てぬほど、手の皮が薄いのだろう?」

鋼を斬ることへ、必ずしも凄まじいまでの腕力が要るとは限らない。
彼の場合も、勘がよくての切っ先の捌きようの妙により、
どんな相手でも一刀両断出来るのであり。
体術も封じての単なる力比べ、腕相撲なんぞをしたならば、
もしかせずとも勘兵衛の方が上だろう。
刀の柄を掴んで固定するだけの握力は それなりあるのだろうが、
甘えるときにこちらの肌へと這わされる、彼の小ぶりな手のひらが、
どれほど柔らかいかを思い出せば、
こちらの壮年殿ほどの策士でなくとも判ること。
気づきはしたが どう取り計らってやりゃあいいのかに、
なかなか辿り着けなかったところは、むしろ不器用さの方が出たと言え。
そして、

 「…儂の顔に免じて、では、気が済まぬか?」

道中で好き嫌いなく通して来ているので、嫌いだから食ってくれは もはや通じぬし、
何かの願かけになんてのは、神頼みを鼻で笑うところがお互い様なので白々しいし。
シチが届けてくれたもの、シチが食べなさいと言っていたと持っていっても、
後で確認されたら嘘だというのはすぐにも判ろうこと。
そもそも、そんな小細工で引っかけること自体、
何だか順番が違うことのようにも思えてならずで、
その結果が、今に至っている勘兵衛であり。

 「…。」

幼子相手の“どーら”という甘やかしの顔じゃあない、
叱っているような怖いお顔でもない。
気づかなくて済まぬという情けない顔でもなくの、
強いて言えば…

 「食うてくれぬか?」
 《 受けとってはくれまいか?》

真摯に案じたその想いに嘘はないと、
大真面目なお顔で差し出されたもの。
無下にするのはそれこそ大人げないことかもと、
躊躇に揺れてたその矛先が、戸惑いながらもやっと落ち着き、

 「……。」

ちょっとだけ身を乗り出してのお口を開ければ、
向こうからも身を乗り出してくれての、ほれと。
唇に当てたそのまま、ちょいと押し込んでくれたのが、
だしの染み方も申し分のない、人肌にぬるまっていた美味しい煮付け。
ああ、そういやこの春からこっちのどれくらいぶりに食べたかなと、
あっと言う間に口の中へ溶けていった冬瓜をしみじみ味わっておれば、

 「ほれ。」

次の一口が差し出されている。
冬瓜越しのお顔が、
気のせいか笑みを濃くしていたのが…ちょっぴり癪ではあったけど。
ここの女将はよほどのこと、料理上手であるらしく、
それに免じてのことと自分へ言い訳しての、
“あ〜ん”に甘んじた久蔵殿であったそうで。


 「美味いか?」
 「…。(頷)」
 「さようか。それは良かったの。」
 「……。」
 「おお、済まぬ。ちょっと待て、重なっておるので冷まさねば。…ほれ。」
 「…っ。」
 「熱かったか?」
 「〜。(否、平気)」
 「さようか。次は、ナスの素揚げを食わぬか?」
 「…、…。(頷、頷)」


確かに 誰が見ている訳でなし、
間を空けての差し向かいだと少し遠いと、
膳を寄せ合うまでにはそうそう間も要らず。
やがて、お返しにと…魚の骨からの身はずしを、
久蔵の側が手掛けて差し上げるようになるのは、時間の問題かも知れず。
よほどの傍若無人でない限り、
美味しいものを美味しいように食べるのが、
一番消化にいい食べ方で。





  「…で? 煮物が出ると、膳を寄せ合う習慣がつい付いてしまったと?」
  「〜〜〜。////////」
  「あ、いえいえ。可笑しいんじゃあなくって。
   そうでしたね、お手々も猫肌でおわしましたねと思い出しただけですよ。
   どら、お手を見せて下さいましな。…ああ、相変わらずに可愛らしい手だこと。」
  「〜〜〜。////////」


  「野伏せりを数十人束ねて斬り伏せても、
   シチさんにかかれば“可愛らしい”なんですね。」
  「今更、今更。」
  「まま、見た目には相変わらず、
   いづれが春蘭秋菊かという風情のお二人だよってな。」
  「中身は国士無双の練達二人だってのは、いっそ詐欺かも知れませんが。」


   ―― おあとがよろしいようで♪




  〜どさくさ・どっとはらい〜  08.7.30.


  *寝不足の原因は暑さだけじゃないのかも?
   …なんてな下世話なフレーズには
   極力触れない話にしようと頑張りましたが、
   無駄な抵抗だったかもですね。
(苦笑)

   それはともかく、
   公式ではないけれど結構見かけるのが、久さん“猫舌”設定で。
   ウチはそこに輪をかけて、
   熱いものが掴めない“猫肌”にしてもおります。
   暑いのが苦手なのと関係がある…のかなぁ?
(おいおい)
   刀の握りダコもないような手なので、それも有りかなと。(苦しい?)
   ちなみに、西洋の食器に糸底がないのは、
   あちらではグラスやカップ以外の食器はテーブルから持ち上げないことが
   マナーの前提になっているからだと聞いたことがあります。
   熱いものを手に持つ必要がないなら、そういう配慮は確かに要りませんよね。
   その代わり、飲み物用のカップには取っ手がついている…となる訳です。

   ちなみに、
   久蔵さんにしてみれば、
   食べさせてもらうなぞ子供のようで格好悪い云々ではなくて、
   熱いものに負けたと認めるのがイヤだったのでという葛藤があったらしいです。

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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